線維筋痛症とは、全身に激しい痛みが生じる病気です。英語では、症候群であることを表現して、Fibromyalgia Syndrome:略FMSとも記されています。

心理的要因、外部的要因などが引き金になり、突然痛みの症状が現れます。その痛みは「がん患者と同じ痛み」と言われています。推定200万人が発症し、完治する割合も低い難病です。

平成22年12月、原因不明の身体の痛みを訴え、自宅近くの整形外科に受診。
突然、足の親指に圧がかかるような痛みを訴え、受診しましたが、様子を見てとのことで帰宅。

のちに突然左手が動かなくなるほど激痛に襲われ、会社近くの整形へ。
手根管症候群と診断、ステロイド治療を3カ月受けた後、左足首も激痛に。
足根管症候群と診断、同じくステロイド治療を3カ月受けました。

痛みが和らぐことなく、範囲は拡大。
体調不調だというのに、会社は退職させてくれない最悪な10カ月を過ごし、余りの痛さに歩くことも、パソコンを打つことも苦しく、まじめな私は最後まで次に引き継ぎをして、上司にハンギレ状態で退職。

全く痛みが取れない、何か違う病気のような気がして神経内科へ。
「あなたは、手根管症候群でも足根管症候群でもないと思う」・・・・・。

そう、私のドクターショッピングが始まりました。

じゃー、どこに行けば治してもらえるの?
知的障害の娘を抱え、生活もしていかなければならない状況で、生活保護を受けながら長い治療が始まりました。

神経内科、脳神経外科、内科、産婦人科、別の整形外科、転々としている間に痛みは全身に広がり、最後に辿りついたのが「精神科」でした。

初めて処方された薬は、「サインバルタ」「セルシン」「マイスリー」3セットでした。病気ではなく、頭がおかしくなったのか、そう思いながらも3つの薬を飲んでみました。

服薬後の気分は最悪です。
死を感じたあの恐怖・感覚を忘れません。

死にたいとも何度も思わされました。
余りの痛さで気が狂い、何度も左手を殴ったり、叩きつけたり、死に方を考えたり、死んだ後を考えたりと、「消えてしまいたい」と何度も考えていたのを覚えています。残された娘の為、最後の力を振り絞り、横浜聖マリアンナ医科大学の整形の先生に相談すると、残された病名は「線維筋痛症」でした。

平成24年7月、専門医がいる横浜南共済病院にて「線維筋痛症」と診断されました。これで安心かと思えば、この病気の治療法は確立さていなく、知名度も低くいことから、ここから本当の闘病生活の始まりなんだと思い知らされました。

線維筋痛症に効果的とされる薬は、私の体には合わず、どれも効果がありませんでした。薬がだめならと、診療内科で認知行動療法を2年間受けましたが、やはり改善はされませんでした。

その他、鍼灸、理学療法、運動療法、ごしんじょう療法、温熱療法と様々な方法を試しましたが、どれもこれも改善されることなく、色々な方法を取り入れることに疲れてしまいました。

模索している中、一人のセラピストに出会い、体を触ってもらうことに、いつのまにかリラックスをしていたことを覚えています。

何年も医者不審になっていた私を救ってくれたのは、セラピスト達でした。
体を温め、体に触れてもらい、癒すことを繰り返した結果、杖をつかなくても歩ける日ができるまでに回復。

だけど、もっと早く、病気を知っていれば、治っていたかもしれません。
間違った治療を受けた結果により、私の左手と左足は一生の痛みを残してしまいました。

杖がなければ生活はできません。
仕事をするのに、どでかいギブスをしてキーボードを打たなければなりません。
同じ姿勢ではいられません。
左手でフライパンを持って、オムライスをひっくり返すことができません。
重たい買い物袋を持つこともできません。
運動や遊びにも制限があります。

体にハンデはありますが、健常者と同じ生活ができるよう、社会との交わりを持っていたいと思います。

微力ではありますが、生きている命があるかぎり、今できることを精一杯できればという思いです。

私が言うのもなんですが、
線維筋痛症の方に出会ったら、手を差し伸べてあげてください。
あまりの痛さに、自殺して亡くなってしまった人も沢山います。
線維筋痛症の方を守ってあげてください。

いつか、治療法が確立して、この痛みの誤作動が消えるその日まで。

てらさき くみこ